「美味しいものを食べたい」相手に食べログランキングを見せても意味がない

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「美味しいもの」という曖昧な欲求の正体

「美味しいものが食べたい」

そう思い立って食べログのランキングを開いたものの、なぜか食指が動かないことがあります。似たような経験は誰しもあるでしょう。

こういう時、ランキングを眺めているうちに、自分が本当に求めているものが少しずつ明確になってきます。「昨日肉を食べたから今日はさっぱりしたものがいいな」「疲れているから近場がいいな」など。

自分の要望に対する解像度が上がることで、より正確な検索ができるようになります。人によってそれは場所だったり、料理の種類だったり、他者の評価だったり、値段だったり。様々な要因が組み合わさって、その人に最適な条件が決まっていくのです。

考えることを任せられないと楽にはならない

これまで人に仕事をお願いして「あんまり楽になってない…」と感じることが時々ありました。これは職種を問いません。採用でも、デザインでも、開発でも、その人がわかりやすいようにタスクを噛み砕かねばならないタイプの人にお願いした時は特に顕著でした。

一方で、仕事を任せると信じられないくらい楽になる人もいます。この違いは何なのだろうと、何度か言語化を試みてきましたが、最近整理できたのでここでまとめます。楽にしてくれるタイプの人は、考えることを代替してくれる のです。物事を整理し、優先順位をつけ、次に何をすべきか考えることはとてもエネルギーを使う作業です。そうした認知的負荷を一手に引き受けて、必要な時に必要な選択肢を提示してくれる。

発注者が「美味しいものを食べたい」という要望を伝えた時に、発注者にとって 美味しいものとは何かを一緒に考えて整理してくれます。そして発注者自身でも言語化できていない要求、「レストランを探している」「さっぱりとしたものが食べたい」「家から徒歩圏内」を明らかにします。この事前の丁寧さが決定的な違いを生むのです。

人と人とが意思疎通をする時、どうしても齟齬は生じます。しかし、仕事を円滑に進めるためには、その齟齬を取り除く努力をお互いがする必要があります。私自身、仕事を依頼する側と仕事を受ける側の両方の立場を何度も経験してきました。依頼する側として、詳しくない領域で自分の要望を言語化できないもどかしさを感じ、受ける側として、曖昧な表現から相手の真意を確認して具体的な要件に落とし込んでいく難しさを経験してきました。

とはいえ、専門的な仕事においては、専門家である受ける側により大きな責任があると考えています。なぜなら、非専門家である依頼する側に専門的な要件の正確な定義を求めることは、そもそも無理があるからです。料理人に「美味しい料理」を注文する時、客に完璧なレシピを書けというようなものです。

依頼する側が楽にならない3パターン

これまでの経験を振り返ってみると面白いことに気づきます。依頼する側と受ける側、両方の立場を経験してきた中で、うまくいかないケースの受ける側の振る舞いには典型的なパターンがありました。具体的には、以下の3つのパターンに分類できます。

「(私が思う)美味しいもの」を作る

要件を明らかにせず想像で手を動かしてしまいます。根本を押さえずに数を打ち、その度に要件が少しずつ明らかになっていくので、改善が遅いのが特徴です。非効率的なプロジェクト進行が生むのは決して手は抜いていないし、頑張ったはずなのに得られたものは少ないという悲しい結果です。

食べログランキングを提示する

ChatGPTが普及して以降、特に顕著になった傾向です。ウェブ検索で得られる情報を、何の文脈も優先順位もなく並べて「この中からお選びください」と提示する。しかし、人が専門家に依頼する理由は、まさにその選択基準がわからないからなのです。単なる情報の羅列で良いのならそれこそ直接ChatGPTに聞けば良いのです。

「美味しいものとは何か定義してください」と突き返す

一緒に考えることの放棄に他なりません。実は私自身、要件定義は依頼する側の責務であるという思いから、よくこのパターンに陥っていました。このアプローチは依頼者を追い詰めます。なぜなら、要件を明確に整理できないからこそ専門家に相談しているのであって、それを最初から求められても答えられるはずがないのです。

依頼する側は、持ち合わせの拙い知識で時間をかけて要件をまとめようとします。しかし専門家の目から見ると、それは的外れな整理にしかならず、「さっぱりしたものとは具体的に何ですか?」といった質問が返ってくる。そしてまた依頼する側は頭を抱えて考え直す…。この不毛な往復運動に、両者の時間と労力が費やされていくのです。

専門家の矜持

結論として**、「美味しいものを食べたい」と要望する人に食べログランキングを渡しても意味がありません** 。言葉の裏にある背景を汲み取らないと、満足はしてもらえないのです。そして自身の要望を詳細に言語化することは、ただでさえ難しく、専門外の領域であれば尚更です 。専門家としての自負があるのなら、それこそがやるべきことなのではないでしょうか。

直近で色々ポジティブ・ネガティブ両方の経験があり、加えてこれまでの自身を顧みたところ納得の行く答えが出ました。

依頼を受ける側としては、相手の言葉の背後にある本質的な課題を見つけ出すことに注力したいものです。「それはつまりこういうことですか?」と、対話を通じて要件を一緒に掘り下げていく。時には自分の専門性を活かして、相手も気づいていなかった選択肢を提示することも大切です。

一方、依頼をする側としては、一緒に考えてくれる信頼できる専門家に頼りたいです。最近の成功体験から、「この人ならちゃんと考えてくれる」という信頼感があれば自身の脳内リソースを解放することができると判明しました。そこまでできてようやく仕事を任せられたと言えます。任せられる仕事はどんどん任せて自信がやるべきことに集中できるよう工夫したいです。


**補足:組織の規模と役割分担について
** なお、本稿では手を動かすことに専念する人のことを否定的に書いてきましたが、これは誤解のないようにお伝えしておく必要があります。特定の業務に特化した人材の価値は、十分に認識しています。これは単に適材適所の話なのです。 例えば、大規模な組織では、明確な役割分担のもと、専門分野に特化した人材がそれぞれの持ち場で確実に成果を出していくことが求められます。そうした現場では、むしろ過度な越境は混乱を招くかもしれません。 しかし、私が普段関わる現場は少人数で、厳密な分業体制が確立されているわけではありません。そのような環境では、時に自分の専門領域を超えて、一歩踏み込んで考えてくれる人の存在が非常に貴重なのです。本稿で書いてきたことは、あくまでそうした文脈での話だということを、付け加えさせていただきます。